高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
金井訓志・安達博文
クラウディア・デモンテ
森田りえ子VS佐々木豊
川邉耕一
増田常徳VS佐々木豊
内山徹
小林孝亘
束芋VS佐々木豊
吉武研司
北川宏人
伊藤雅史VS佐々木豊
岡村桂三郎×河嶋淳司
原崇浩VS佐々木豊
泉谷淑夫
間島秀徳
町田久美VS佐々木豊
園家誠二
諏訪敦×やなぎみわ
中山忠彦VS佐々木豊
森村泰昌
佐野紀満
絹谷幸二VS佐々木豊
平野薫
長沢明
ミヤケマイ
奥村美佳
入江明日香
松永賢
坂本佳子
西村亨
秋元雄史
久野和洋VS土屋禮一
池田学
三瀬夏之介
佐藤俊介
秋山祐徳太子
林アメリー
マコト・フジムラ
深沢軍治
木津文哉
杉浦康益
上條陽子
山口晃vs佐々木豊
山田まほ
中堀慎治

泉谷淑夫氏
'Round About

第41回 泉谷淑夫

泉谷淑夫は、作品発表の出発点である横浜を大切にし、近年は二年に一度、横浜高島屋で個展を開催している。6度目となったこの個展会場で、話を伺った。黙示録的絵画の根底には、集団と個人、社会と美術の逆説という啓示が溢れ、見る者に問いかけてくる。

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風景画
●会場に足を踏み入れると、代表作と思われる大作の前に、人がいない風景画の小品が並んでいます。個性を消した静謐な景色です。
泉谷:個展ですから公募展と違う世界を見せたいのです。私は「風景」に深い関心があります。それを「空間」と言い換えてもいいでしょう。まず風景を探しにいく。次に風景と出会う。そしてその場でデッサンせず、写真に収めてアトリエに戻って描く。その場での体験、記憶を呼び戻せるのかが問題です。モノクロのラフデッサンの際に、既に構図、配置、明暗といった重要なポイントは押さえます。細部は描かない。この時点で完成してもいいのですが、色を入れて壊し、複雑にします。極力、写真と記憶を基にして自己を抑えるのですが、押し殺すまでしても「解釈」しているのですね。体験と作品は異なります。
●すると水彩なのですか。
泉谷:この会場にある作品は総て油彩ですよ。
●そこまで重要な作品であるにもかかわらず、なぜサイズを大きくしないのですか。
泉谷:スケール感よりも、凝縮された「光」を押し出したいのです。技法としては点描のような細かいタッチを使っています。点描は小画面のほうが生きる。画面を大きくしてしまうと、タッチも大きくなってしまう。だから12号くらいで充分かな。サムホールに描いても大きく見える、画面から、はみ出す作品を描きたいのです。それは「羊」のシリーズでも同様です。見る者を画面の中に引き込みたいのです。現実の風景を観察して構図と空間性を鍛え、仮想の「羊」の世界観に役立てています。
 
大作「羊」シリーズ
●では「羊」のシリーズは全くの空想なのですか。
泉谷:そうです。描いている時、自分は舞台監督のような立場でしょうか、余計なものは描かないで「組み立てる」ことを重視します。そして多義的な意味を含ませます。
●必ず羊が13匹いて、一匹がこちらを向いている。南瓜や気球や廃墟があり、昼と夜の区別も影では判読出来ない。月の光もありますから。
泉谷:不遜ですが、啓示的に描いています。現代の危機感、時代を捉え、メッセージを盛り込むのが絵画のひとつのそして重要な役目だと思っています。
 
 
●南瓜のモチーフも多いですね。
泉谷:南瓜の形と色にエネルギーを感じます。気球もそうでしょう、エネルギーで膨らんでいる。煙もそうなのです。もくもくと上がる様は、DNAのように螺旋を描く。その様子を観察するのが好きなのです。樹木もそうです。電車に乗っていてふと見下ろして樹木が見えると、煙のように見えることがしばしばある。羊の毛もこれに入りますね。
 
 
●羊飼いはいても、顔が見えませんね。
泉谷:生活の八割は顔を見て過しているのです。顔とは「特定」なのですね。「特定」があると、作品に集中出来ない。私は見る者に、自分の作品の中へ入って欲しいのです。「特定」とは、「個人」でもあります。私は「個人」よりも「社会」に興味があります。「個人」では望んでいなくとも、「社会」になると戦争が発生します。私はキリスト教の専門家ではありませんが、画中にある「羊」はイエスと十二使徒を表しています。信仰とは個人の問題です。イエスですら、組織化を図った。即ち信仰の本来の姿に矛盾しているのですね。私は学生運動時代、何度もセクトに誘われましたが個を貫いた。今も一陽会に属しながらも、アトリエで自己を研ぎ澄まし、信仰を持ち、戦いを続けている。
 
●社会と自然も近い存在ですね。
泉谷:自然は無駄が全くない。この自然を援用し、記憶を用いて「羊」のシリーズに持ち込みたいのです。

小品「羊」シリーズ
●小品の「羊」は、更にシュルレアリスム的要素を感じます。
泉谷:様々な解釈があると嬉しいです。私は小品の際には、気楽に描いています。でもあらゆる作品を描く場合、《直感》で描いていますね。更にここには理屈が後から付いてくる。例えば〈卓上の羊〉〈渚の謎〉〈窓辺の羊〉という三部作があります。この作品群を描き終えて時間が経ってから感じたことをお話します。〈卓上の羊〉の羊は幼児イエスなのですね。引き出しに入っているのは餌です。室内にある餌とは農耕されたもの、つまり自然物ではない人工的な「奇蹟」です。背後の額縁の絵が自然物、即ち「失われた楽園」です。室内そのものが既に人工物=奇蹟なのです。〈窓辺の羊〉のほうの羊はユダです。画中の林檎の存在は色としても必要でしたが、アダムとイヴの「原罪」も表しています。つまり「裏切り」ですね。裏切りとは人間の宿命なのです。人間は存在を始めた段階で、既に自然から離れていってしまった。この二つの主題はコインの裏表のようなもので、等価なのです。中央にある〈渚の謎〉に描かれている逆さまの南瓜はクエスチョンマークにも見える。二匹の羊は家畜として迷いを表し、二羽のカラスはしたたかな野生。色、形もそうですが、象徴としても対比的です。「謎」とは、安定していないことを示しているのです。
●奥が深いです。泉谷さんにとっての《直感》は感覚的なものではなく全体を見渡す《直観》であると思います。
泉谷:そうかも知れませんね。
 
●技法について教えて下さい。
泉谷:技法よりも構図には気を使っていますね。技法は自分より上手い人が沢山いますから。技法については、私はバロックの巨匠達に注目しています。
●日本のシュルレアリストに位置付けられることには、違和感がありますか。
泉谷:私は1970年代から伊藤若冲や琳派を研究しています。琳派の持つシルエットやぬりえ的要素と構成の方法論は私の表現の原点です。〈接吻〉を見て下さい。これは宗達の〈鹿図〉を基にしているのですよ。以前描いたサムホールの作品より今回のほうがより〈鹿図〉に近づきました。こういった丸いシルエットは西洋にはないのです。
 
教育と美術
●横浜から岡山へ移り住んだ理由は何でしょう。
泉谷:岡山大学の公募に応募したら運良く入ったのですよ。自分も教育学部の美術科出身ですから、教育学部を自然に選んだのです。教育と美術のつながりを考えることは、社会を考えることと同じことなのです。私はこのテーマを一貫して考察しています。ですから私はプロフィールに中学校教員だったことを隠しません。生徒の顔はほとんど覚えています。そして当時の目先の進路ではなく、生徒たちがその後どのような人間になっているのかという、「人生」のほうに興味があります。「個性」をどのように生かしているのか。その時は先生と生徒であっても今は違う。出会いは財産です。
●だから平日の午前中でも、19年間の中学教職員時代の教え子が絶え間なく訪れてくるのですね。
 
メッセージ
●作品が発するメッセージは見る者がそれぞれ感じ読み取るものですが、あえて一言で語っていただきたいのです。
泉谷:「文明のパラドックス」です。逆説の面白さ、「便利になると不便になる」という落とし穴ですね。現象をただそのまま「見る」だけではなく、逆説的に「見る」ことを通して疑問を持つ、考える。それによって人生が豊かになって欲しいと思っています。
 
(2007.11 高島屋横浜店にて取材/宮田徹也)  
  

 

泉谷淑夫(いずみやとしお)
1952年 神奈川県伊勢原市に生まれる
1983年 横浜国立大学大学院教育学研究科
1983年 美術教育専攻修士課程修了
1983年 第30回一陽展一陽賞受賞
1985年 横浜国立大学教育学部附属横浜中学校教諭
1993年 一陽会会員
1994年 第37回安井賞展入選
1997年 第11回個展 横浜高島屋美術画廊
1998年 第12回個展 倉敷市立美術館
2001年 第47回一陽展安田火災美術財団奨励賞受賞
2002年 第53回岡山県美術展大賞受賞
2002年 第6回小磯良平大賞展優秀賞受賞
2007年 岡山大学教育学部教授