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    ■名所を描く
 廣島鉄道局が発行した封筒セットを紹介しよう。「瀬戸内海之風光」と題し、朱塗りの日本建築が表紙にある。厳島神社の様子だろう。各封筒の表側には「瀬戸内海鳥瞰図」と題して、エリアを鳥の目から見た風景が印刷されている。広島・岡山・高松・松山などの諸都市に加えて、小豆島・寒霞渓・五剣山・屋島・栗林公園・塩江温泉・金刀比羅宮・道後・厳島・阿伏兎観音・仙酔島・白石島・鷲羽山など、主要な名所が特記されている。国立公園に指定された範囲が描かれている。
   
   
「瀬戸内海之風光」表紙
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     各封筒の内側には、厳島神社鳥居(天泉画)、松山女達磨・宇和島鹿面(笛畝画)、松山城(此然画)、寒霞渓(深水画)、雨の瀬戸海(讃次郎画)など、名所や市街地風景の素描がある。手紙を受け取った人は、旅先からの知人の便りとともに、瀬戸内の風光の絵を眺めることができたわけだ。(図1〜12)    
   
「瀬戸内の風光」(図1〜12)
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    ■国策としての観光
 日本において国立公園の法制化と場所の選定がなされた大正時代後半から昭和初期は、同時に外国人観光客を日本に誘致するべく、さかんに議論がなされた時期である。昭和4年3月、外客誘致に関する建議が可決された。来日外国人の増加もあり、海外に日本を宣伝する好機だと判断されたようだ。この建議を受けるかたちで同年4月、鉄道省とジャパン・ツーリスト・ビューローの提唱による対米共同広告委員会が設置された。 
 対米共同広告委員会はその名の通り、米国で日本への観光を宣伝することが使命である。鉄道省から10万円、満鉄・日本郵船が3万円、そのほか朝鮮鉄道や台湾総督府鉄道、大阪商船、ホテル協会などが出資し合計20万円の資金を集めて、ニューヨークに実行委員会が設けられた。英文での日本案内、ポスターの制作、雑誌広告、全米の旅行業者10名の日本への招待等を実施した。その効果もあったのだろう、同年中に8500名ほどの米国からの旅行者を受け入れている。
 翌昭和5年4月になって、外客誘致を本格的に実施する組織である国際観光局が整備される。ついで7月には、鉄道大臣を会長として調査・審議を行なう国際観光委員会も設けられる。官民の関係者60人以内で構成される大臣の諮問機関であり、政府の観光政策が議論された。
 同委員会の答申の第1号が「外客誘致ノ宣伝ニ関スル件」である。そこにあって外客誘致を実行するためには、官民に協調による対外的な宣伝が極めて重要であるという見解が示された。従来も鉄道省と民間事業者が協力して対外的な宣伝を行なってきたが、同種の事業を国策として実施している欧州諸国の宣伝と比べると小規模である。統一的に実行するべく、機構の改善や拡大が必要であると述べる。加えてその費用は、一般会計で負担するべきは勿論であると明記しつつも、利害関係を有する国有鉄道や地方公共団体、そのほか民間関係業者が分担することも妥当という考え方を示した。
 11月25日の第3回総会において、「外客誘致ニ関シ急速実施ヲ要スル事項並其ノ実行方策ニ関スル件」をまとめている。「観光宣伝の方策ヲ確立スルコト」のほか、「旅行斡旋期間ヲ充実改善スルコト」「ホテルヲ整備改善スルコト」「休憩所、洗面所其ノ他之ニ類スル設備ヲ整備改善スルコト」「交通機関ヲ整備改善スルコト」「観光地ニ於ケル設備ヲ充実改善スルコト」など13項目の方策をとりまとめた。そのなかには、観光地や観光経路の選定や、観光地における風致記念物等の保全を図るという地域づくりの提言も含まれている。また海外での宣伝などを実行、先の対米共同広告委員会の仕事をも引き受ける機関として、財団法人国際観光協会が設立された。
   
    ■日本を世界に宣伝する
 ここにおいて、外国人観光客の受け入れは鉄道会社や船会社、あるいはホテルなどに限った事業ではなく、国策となった。しかし国庫からの資金は充分ではない。鉄道省や民間業者からの供出金を集めて、年間30万円程度の予算で対外宣伝を行なう必要があった。 
 とりわけ意識されたのが米国からの誘客をはかる方図である。たとえば昭和8年には、シカゴで開かれた万国博覧会において、国際観光局と国際観光協会が中心となって日本の展示を行った。また昭和8年には、当時人気のあった青少年雑誌に「日本――なぜ僕は日本に行きたいのか(Japan and Why I Want to Go There)」と題する懸賞論文を募集、1等の入選者3名を、日本各地や朝鮮半島、満州方面に見学旅行に招いた。その経験は新聞や雑誌、各地での講演などで大衆に広く伝えられた。この事業は高い評価を得たようで、翌年も「日本に行きたい六ツの理由」という課題で再度、懸賞募集を実施した。
 国内でもイベントが展開された。昭和9年には、国際観光局の設立記念日である4月24日を中心として、その前後、1週間にわたって全国観光祭を挙行した。東京・横浜・京都・大阪など全国23都市が参加、国民に対する観光観念の普及に努めた。また雑誌『国際観光』の5周年記念の企画として、「国際観光事業の発展策」と題する懸賞論文を募集した。
 各種の宣伝媒体が用意された。日本の名所や文化を紹介する宣伝用映画を制作・複写、諸外国の公使館や領事館、学校、クラブ、公共的団体、フィルム・ライブラリーへと寄贈した。「桜咲く日本」「日本の四季」「日本瞥見」「東京交響楽」「奈良と京都」「夏の雲仙」「日光」「大阪」「九州横断」などのフィルムに加えて、「瀬戸内海」と題する映画があったことが資料から判る。 
 印刷物も多様に企画された。『東亜旅行案内叢書日本篇 改訂版』や雑誌『トラベル・イン・ジャパン』を発行した。また各国語の日本案内のほか、米国やカナダの学生向けの『青少年向日本案内』、アジアに滞在する西欧人を避暑や避寒に招くべく『夏の日本』や『冬の日本』などの冊子を制作した。日本文化を紹介する『ツーリスト・ライブラリー』と題する叢書も創刊した。
 またポスターや画集、地図、カレンダー、クリスマス・カード、英文の時刻表なども発行した。その題材として、日本各地の名所旧蹟が選ばれているが、瀬戸内海からはしばしば宮島が選ばれている。 
   
    ■観光宣伝と日本画
 各種の絵葉書も用意された。日本に滞在している外国人旅行者が、故郷の家族や知人に便りを送る際、あるいは帰国後、土産として配付するということが想定された。国際観光局による絵葉書の制作は、昭和5年から始まっている。原色の版画や絵画、写真など、年度によって、さまざまな表現で描かれた名所の風物が葉書に印刷されて、各地で販売された。昭和13年からはホテルや汽船の客室に備え付けた。
 全国の名勝を扱った絵葉書がセットになる場合と、「阿蘇と雲仙」(昭和8年)、「吉野熊野」(昭和10年)、「上高地」(昭和11年)など地域を限った絵葉書を発行した場合があった。「瀬戸内海」も、昭和11年に12種を一組として販売された。
 各種の印刷物で使用する絵画を確保するべく、昭和5年の十和田を皮切りに、毎年、日本画家によるスケッチ旅行が実行された。瀬戸内海国立公園にも、昭和10年11月9日から11月17日にかけて、日本画家11名を派遣している。世界に日本の魅力を知らしめる手段として、日本画が有効であると考えられたわけだ。
   
    ●参考文献
・『観光事業十年の回顧』国際観光局、昭和15年3月
   
橋爪紳也(はしづめ・しんや)
1960年大阪市生まれ。大阪府立大学21世紀科学研究機構特別教授。大阪府立大学観光産業戦略研究所長。大阪市立大学都市研究プラザ特任教授。建築史・都市文化論専攻。工学博士。京都大学工学部建築学科卒業、京都大学大学院工学研究科修士課程・大阪大学大学院工学研究科博士課程修了。

著書に『明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間』(平凡社・筑摩書房)、『大阪モダン 通天閣と新世界』(NTT出版)、『日本の遊園地』(講談社)、『祝祭の〈帝国〉』(講談社選書メチエ)、『飛行機と想像力 翼へのパッション』(青土社)、『モダニズムのニッポン』(角川選書)、『「水都」大阪物語【再生への歴史文化的考察】』(藤原書店)ほか多数。

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