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冬の受験シーズンが本格的に始まる前に、学校では大きなイベントが行われる。

 昔、学芸会といわれた、キッズフェスティバルだ。

 タイボクたちの学校では、最終学年の六年生が、毎年「西遊記」の劇をやることになっている。タイボクは孫悟空役に自ら名乗りをあげ、クラスのなかでは他に希望者がいなかったものだから、やすやすと主役を勝ち取った。

 もっとも、主役はタイボクのほかに二人もいた。

 三つあるクラスから、それぞれ一人ずつが、主役に選出されたのである。

 一人の才能ある子に、その才能を理由として大きな光をあてるわけにはいかないような、奇妙な平等主義と気配りの気配が今の学校にはある。役についても、向いているかどうかはともかく、まずはやりたい人にやらせた。決して先生のほうから指名したり仕向けたりということはない。

 どの役も各クラス一人ずつ、合計三人がいるわけなので、場面場面で、交代して演じることになる。せりふを覚えるのも短くていい。子供たちのほうは、こんなものかと思っている。

 見ている側にしてみれば、統一感がなくて、いまひとつ盛り上がりに欠けるのだが、こんなトリプルキャストは、何年も前から続いていた。

 親や、さらにその親の世代の話をすれば、学芸会は演芸であり、光り輝く子がいる一方で、蔭に入る地味な子がいるというのは当たり前のことだった。役を与えられなかった子も、裏方や脚本書きなど、何かの仕事をわりあてられて、何ヶ月も前から練習を重ねたものだ。

 タイボクの通う学校のように、多くの生徒が受験するという昨今では、授業時間を削ってまで、よけいなことをやらせてほしくないという親からの圧力もある。学校内のイベントは最小限、授業時間はきっちり確保するというのが暗黙の了解事項だった。不思議なもので、誰も言葉にして、そのことを言ったことはない。けれどこの状態を誰かが変えようとしたら、それこそ大変なことになるという空気が、受験前のクラスにはある。「前年どおり」を踏襲するところは、どこかオトナの社会のようである。

 舞台装置や衣装なども、前の年のものをそのまま使う。保護者の手をわずらわせたりするのはそもそもご法度だから、特別なことは何もやらず、劇といっても、簡素そのもの。自分の子供のころは……とふりかえる父母たちのなかには、受験のことを棚にあげて、かなり物足りなく思う人も多い。

 タイボクの父親も、かねがねそんなことを感じていた一人だったが、今年はなんといっても、息子が主役である。本人から、孫悟空役だと聞かされたときには、内心、一人で舞い上がった。

 やったな、タイボク。
 うん、まあね。

 父が興奮しているそばで、本人はけっこうクールに受け止めていた。

 父は、仕事で多くの役者たちとも関わりあうが、演技についてはまるでわからない。お前、大丈夫かという言葉をのみ込み、がんばれよ、とただそれだけを言った。

 昔から、タイボクを叱るのは父の役目、はげましたりなぐさめたりするのは母の役目のようになっていて、妻と別れたあと、タイボクの父は、とりわけ後者のほうの役割に四苦八苦した。褒めたり慰めたりというのが苦手な父だった。

 もう少し、待ってやって。タイボクはゆっくり、じわじわと大人になる子だから。だから、あせらずに待ってやって。そうすれば、きっと、芽が出てくるから。

 妻はよく、そんなふうに言って、叱るばかりの夫を静止しなだめたものだ。

 芽が出るのを待っていたら、人生終わっちまう。結局、芽なんて、出ないで死ぬのが落ちなんだ。

 こう言って妻に反論するとき、タイボクの父は、タイボクでなく、ほとんど自分のことを話していた。

 孫悟空のことを伝えたら、彼女はどんなに喜ぶだろうと父は思った。このよろこびを正確に二分できる相手は、元は付くが、やっぱり「妻」しかいないのだった。

 キッズフェタの日時は伝えてある。そして先日、彼女から、必ず観に行くと返事を貰った。

「ママが来るぞ」

 とタイボクに伝えたとき、タイボクは虚をつかれたような顔をした。

 嘘だろ?とも ホント?とも言わなかった。

 他人事のように、真顔でうなづいただけだった。

            
→12へ続く