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 「孫悟空って猿だろ、あいつならお面なしでいけるだろうが。けけ、猿みたいな顔じゃん、そう思わない? けどよ、演技下手だから、面でもつけないと主役だってわからねえな、そうだろ、え?」

 同じクラスの清崎から、タイボクの悪口をふっかけられて、京平は「うーん」と気のない返事をした。

 嫌なやつにつかまっちまった。塾があるから早く帰ろうと思って、誰よりも早く教室を出た。なのによりによって、一番避けたい清崎が、真っ先に下駄箱のところで待っているとは。

 その足にはすでに黒いローファーが履かれていて、ゴキブリのように光っている。運動靴――それも砂埃にまみれたのを履いている子がほとんどなのに、清崎だけは違っていた。まるで毎日が入学式のように、靴だけはそうして、ぴかぴかの革靴だ。

「なーそうだろーきょうへーい」

 清崎がなれなれしく京平にしなだれかかってくる。押し返すがまたしなだれかかってくる。

「塾だから」

といって押し返し、走りだす。

「逃げんなよ、てめえ」

 叫んだ清崎が、がつんと京平のふくらはぎ蹴った。イテッと声があがる。清崎が笑う。

 でも京平は言い返さない。走り去りながら、ばーか、と心のなかで言う。背後で清崎が、また何か叫んだ。じわじわと、京平の目の淵から涙があふれてきた。痛みと悔しさがどっと来た。なぜ言い返さなかったか。蹴り返さなかったか。涙のなかには後悔もあった。でもそこで言い合っていたら、塾に遅れてしまう。これでよかったんだと自分に言い訳しながら、「あいつオワッテル」と、今度ははっきりと口に出して言った。

 清崎と京平は同じ幼稚園に通っていた。だから文字通りの幼なじみだ。あのころ、清崎は気の弱い、ただのお坊ちゃんで友達すらいなかった。京平にいつもまとわりついてきて、それがうるさくてうざかった。清崎はいつも手を繋ぎたがった。でもその手は、アレルギーか何かで、てのひらの皮がいつもめくれていた。京平はそれが気持ち悪くて、いつも彼のてのひらをふりほどいた。

 そんな清崎が、気づいたときには、どこかすさんだヤンキーになっていて、六年生になってからは、ますます態度が荒れてきた。

 前はおとなしい生徒だった。気に食わないことがあると、切れたり手が出たりするようになったのは、高学年になってからだ。最近は特に言葉がきつい。クラスでは仲がいいと思われている京平も、できるだけ距離をとるようにしていた。

 四人兄弟の末っ子で、上に三人もの兄がいる清崎は、なんでも情報の類が素早かった。悪いこともよく知っていた。一番上のにいちゃんが、知らないおねえちゃんと、家で裸で抱き合っていたとか、家のなかのことをあけすけに話しては、クラスの男子を驚かせた。同じクラスの横山みどりとは、最近両思いになったらしく「つきあっている」という噂もあった。みんな清崎と距離をとりつつも、その早熟ぶりには、無関心ではいられなかった。

 お父さんは歯医者で、学校の指定医でもある。怖くて愛想がないということでは有名な先生だったが、他に行くところもないから、多くの子供たちが、問題がおきれば清崎歯科へ通っていた。けれどタイボクは違う。ちょっとした出来事があって後、遠いが、別の歯科医へ通っている。

 低学年のころのことだ。学校の検診で虫歯を見つけてもらって、清崎先生にお世話になった。ところが麻酔の注射針が怖くて、タイボクは大きな声で泣きだしてしまった。それがよほどにうるさかったのだろう。清崎先生はその大きなてのひらで、タイボクの口を塞いだのだ。ぴったりと。サランラップみたいに。

 ただそれだけのことだが、怖かった。先生は笑ってはいなかった。真顔だった。言葉を持たない人だった。

 今でも思い出すたび、仰向けになったタイボクの上から、大きなてのひらが降りてくる。そうしてタイボクの口を塞ぎ、深い海の底へ沈めようとする。あのとき、タイボクは歯医者をかわりたいとママに言った。ママは、いいよとすぐに応じてくれたのだった。
            
→13へ続く