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「タイボクくんは歌がうまいのねえ。れいかちゃん、泣き止んじゃったじゃない」

 おおばやし親子が去ったあと、その場に残っていた若い先生がいかにも感心したようにタイボクに言う。

「うまかないよ」

 タイボクは褒められると居心地が悪くなり、素直にありがとうと言えたためしがない。

「泣いてた子が泣き止んだんだよ、それはたいしたことだ。タイちゃん、自慢していいよ」
「ちがうちがう、あのこはただ、びっくりしたんだ、それで涙も引っ込んだんだ」

 どっちだっていいさ。そう言いたいのを我慢して、園長先生はタイボクを見る。自分を認めない頑固さが、少し意外に思われたが、確かに、現実はタイボクの言うとおりかもしれないし、タイボクは正確なことを言おうとしているだけなのかもしれない。

 むかしから、考える前に体のほうが先に動く子だった。

「ジャニートゥザスタア〜か。タイボクは英語まで歌えるんだねえ」

 園長先生が歌うと、ゴダイゴの「銀河鉄道999」もすっかりのどかな民謡である。

「先生、それよか、思い出したことがあるんだ、このあいだ、道で、子供を足蹴りにしているおかあさんを見たんだ」

 そう言っただけで自分の胸のあたりに、靴で踏まれたみたいな気持ちが、新鮮にわきあがる。

「おや、なんだって。そりゃあ、いけない」
「コスモス保育園の子らしいんだ」
「知ってる子かい」
「知らない。偶然、見かけたんだ」
「気になったんだね」
「当たり前だよ。すげえ、こわいんだから」
「誰が」
「そのおっかさん」
「よく教えてくれたね。わたしもよく注意して見ておこう」

 保育園では、延長保育組、つまり五時以降も居残って親を待つ子のために、子供たちが一階の一室へ集められていた。

 園長先生は、もしかしたら辛い目にあっている子がそのなかにいるかもしれないと、生来のカンで思ったけれど、犯人を特定するために、あら探しをするようなことをしてはならない。どんな母親も、常時、慈母でいることはできまい。おそらく、一度や二度は、いやもっと多くの回数、子供に酷い態度をとり、それを悔やみ、そんなじぐざぐで生きているに違いないのだ。

 子供を産んだことのない園長先生は、タイボクから聞いたその話を、一度、お母さんの側に置き直し、よくよく気をつけて、子供たちと母親たちを見てやらなければならないと、改めて気持ちを仕切り直した。

 傍らにいた元吉先生に、ちょっとあとで話しましょう、と声をかける。



「オレ、帰る」

 そのとき、タイボクがぼそっと言った。

 園長先生も元吉先生も、ああそう、と少し名残惜しそうに言いながら、少しほっとしているのも事実だった。

 卒業した子が遊びに来るのを、先生たちはいつも歓迎している。拒んだことなど、一度もない。それでも卒園した子の生きる場所は、ここでなく、どこか他の場所だ。タイボクには、保育園を振り返ることなく大海へ泳ぎだしてほしい。そう願う気持ちが、どうしたって、第一にある。

 たくさんの園児を育ててきた。このごろ園長先生は思うのである。どんな子も自分の子供だと思って褒めたり叱ったりしてきたが、でもそれは、偽善だったかもしれない、と。

なかには、どうにも可愛くない子、愛情を注げない子もいた。すでにして圧倒されるようなワルぶりを発揮する子供もいて、こっちが恐怖を覚えることもあった。そうした傾向は、むしろここ数年強まっている。園長先生の目がまったく見えないと思っているのか、いてもいないようにふるまう親子もいる。そう、子供だけでなく、その親も、園長先生にとっては、園児に等しいものなのである。そしてこのごろでは、親からまず、育て直さなければならないと思うこともしばしばだった。

「さっき、タイボクくんが言っていた親子だけれど」
「はい」
「元吉さんは思い当たるかしら」
「園長先生、すみません。まったく思い当たるところがなくて。少しでもその兆候がある親子は担任の先生たちからも全体会議のとき、上がってくるはずなんですが」
「上がってくる前に、自分のまなこでよくよく見ることですよ。わたしなんぞ、目は見えなくとも察しますぞ」
「ははあ」

 園長先生と元吉先生は、まるでお侍とその下臣のようだった。
            
→23へ続く