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 保育園の門を出、ジャバラ状の鉄門を閉めようとするそのとき、タイボクの目の前を、一台の自転車がさあーっと走り抜けていった。

「タイボクちゃーん! まだミルク飲んでるのねーっ」

 髪と声でわかる。清崎だった。

 その言葉の意味が、やや遅れてタイボクに届く。

 はずかしさが、一気に頭のてっぺんまでかけのぼる。

 タイボクは何も言い返せず、ものすごい勢いで走り去っていく自転車をあぶねえなと見つめながら、もう保育園には一歩も近づくまいと意固地な気持ちになっている。

 このごろ、やつは、ばかに荒れている。髪の毛が茶色っぽくなって、声にはいつも、人を馬鹿にしたり、威圧するような調子が混ざる。去年はあれでも、まだ可愛げがあった。このごろでは目が尖ってきて、タイボクも目を合わせるのが怖いくらいだ。シベリアンハスキーという犬を見たとき、清崎の目に似ていると思った。

 放課後、そうして自転車を飛ばしているところを見ると、清崎は受験せず、地元の中学へ進むのだろうか。

 このあいだ清崎は、担任に廊下で何やら注意を受けていた。担任のひらりは、額に皺を寄せて、いかにもわたしは怒っているのよ、という雰囲気を醸し出していたけど、やつはひらりなんか少しも怖くはない。ひらりもそれを、おそらくわかっているはずだ。わかっていて、どうすることもできないのが、ひらりのまったく頼りないところだが。

 だいたい、そばで見ていたって、清崎のほうが圧倒的に存在感がある。背だってひらりより、ずっと高いし。

 小学生最後のキッズフェスタも終わり、クラスのなかは、受験組と地元中学進学組に、受験組はさらに、競争の激しい上位校をめざすグループとそれ以外のグループとに、微妙に色分けされつつあった。

 タイボクは地元中学へ進学する。父とはまだ、何も話しあっていない。地元中学だって何校もあり、いまは好きに選べるのだが、父はきっと、家から一番近いY中へ行けと言うだろう。でもY中は一番荒れているといううわさがあり、清崎もおそらくそこへ進学する。その場合、どうしたらよいか。清崎は中学へ行けば、もっと悪くなりそうだ。しかしもっと悪いやつがそこにいて、案外、おとなしくなるかもしれない。あるいは清崎はY中へ行かず、他の中学へ行くかもしれない。清崎に、「おまえどうするのか」と一言尋ねれば済むことなのに、みんながそれを本人には聞けず、うわさばかりが横行していた。タイボクは、できれば清崎とは、この先、いっしょになりたくはなかった。

 京平は、前からの宣言どおり、受験をする。かなりの上位校をねらっているらしい。

 受験組は受験組で、それぞれ塾のなわばりもあり、同じ塾同士でない場合は、これまた微妙な温度差があるようである。このあたりでは「変人塾」と異名をとる、別の言い方をすれば「ユニーク」な山田塾に通う京平は、受験組のなかでも、少数派の変わり者と見られている。山田塾で上位校に本当に受かるのかと、好奇心すら集めているようだ。少し前には、山田塾に来ないかと、気楽にタイボクにも誘いをかけていた彼も、近頃では余裕がなくなったのか、睡眠不足なのか、毎朝、青白い顔で登校してきて、口数が少なくなった。山田塾は無理な勉強はさせないといううわさだったから、自主的に勉強をしているのかもしれない。

 子供に無理をさせるといえば、中学受験塾最大手といわれるMAXのほうだ。タイボクのクラスには、ここに通う佐倉(女子)や、伊達(男子)がいる。子供たちは、放課後、塾に駆けつけると、九時、十時まで、食事もとらずに、勉強するという。なんで食べたらいけないの? タイボクが聞くと、佐倉は「だって、眠くなっちゃうじゃない」と簡単に言ってのけた。そのとき、タイボクは、おれには受験は無理だと思い知った。

 MAX塾に通う連中は、学校のテストを見る限りでは、ほんとうによくできる生徒たちだった。積極的に何かができるというより、小さなミスを犯さない。担任のひらりは、彼らをみるたび、「何も言うことがない。パーフェクトだわ」と思っていた。歌を歌わせてもうまいし、運動だって普通にこなす。頭はよいがその他では冴えないというタイプがおらず、なんでもスマートにこなす秀才たちなのだった。MAXの経営者には、子供というのは、ある程度の負荷をかけなければ、才能の芽すら出ないという考えがあった。

 学校の勉強範囲を、すでに早い段階で終えているMAXの生徒たちは、授業内容が多くの場合、簡単すぎてつまらない。私立の上位男子校をねらっている伊達などは、「まあ、そのうち、学校のほうは休んで、自主勉に入るかな」と思っていた。
            
→24へ続く