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 「山田塾は、時間がかかるそうなんだ、成果が現れるまで。なにしろ、じいさんが、じっくり教えてくれるからな」

 京平の言い方は、山のなかでおじいさん、おばあさんが、煮込み料理でも仕込んでいるように聴こえて、タイボクは思わず、かかかっと笑った。すると京平も、つられて笑った。

京平はその「じいさん」先生が好きなのだと思った。

「つまり、敵はよ、うちの場合は母ちゃん、ってことだ。おれはじっちゃん先生を信じてるからさ」
「じっちゃん先生って呼ぶのか?」

 タイボクがまた笑いながら聞くと、
「いろんな呼び方があるよ。じっちゃん先生とか、爺さん先生とか、じいちゃんとか、じーとか、みんな勝手な呼び方で呼ぶ」

 タイボクはますます、そのじっちゃん先生に会いたくなった。

「見るだけでもだめか?」
「見るって何を」
「山田塾だよ」
「お前、ただ、見てどーすんの」
「じっちゃん先生を見たいんだ」
「じっちゃん先生は見るものにあらず。体験すべし」
「だって、おれ、受験しないし」
「受験は関係ない」
「だって、もう、十一月だし」
「だからなに?」
「なんて言えばいい?」
「見学に来ましたってさ」
「だって授業料、きっと払えない」
「お父さんにダメ元で言ってみなよ」
「月いくらなの」

 話がだんだんと具体的になってきた。

「一万五千円」

 それが高いのか安いのか、タイボクには判断ができなかった。ただ、その金額を、自分が稼げないことは明らかだったし、父がその金額を稼ぐことも、大変なことなのだろうという思いはあった。

「言うだけは――言ってみるかな」
「山田のじっさんは、人の話を聞く人だよ。問題があるなら、胸を開いて、何でも言えばいいんだ。相談すれば。あるとき、オレ、それに気付いたんだ」
「へえー」
「言葉って出せないものなんだ。言いたいことって言えないものなんだ。だけど、そこをちょっとふんばって乗りこえてみるんだ。うまく言えなくても言おうとしてみるんだ。解けない問題も解こうとしてみるんだ、そうやってると、あるとき、ひょっとまたげてしまう、ってことがある」

 京平の言うことは魔法のようだったが、なんだかできそうな気がしてきた。

「行くときには声かけてくれよ。いっしょに行こうぜ」

 京平はこんなに頼もしいやつだったか? 受験を前に、そんなふうに、人の事を考えられる京平が、タイボクには少し驚きだった。 

 



 今、クラスの雰囲気は、わきあいあいというようなものではない。どちらかといえば、少し殺伐としている。担任のひらり自身が、ぴりぴりしていて、冗談のひとつも口から出てこない。まあ、言ったとしても、オヤジギャグレベルよりも、もっとひどいものだから、言わないほうがいいようなものなのだが。

 受験組のうち、成績がトップクラスの子供は、最大手の受験塾、MAXかトータルワンのどちらかに通っていて、二つの塾は競合していた。情け容赦もないスパルタで知られているのはMAXのほう。トータルワンは授業料が高いこともあって、クラスでは、花という子くらいしか、通っていない。

 MAXは、宿題の多さが半端でないようで、塾のある日は、授業中に、塾の問題集をこっそり開いている者もいる。ひらりは気付いても何も言わなかった。そういう一切を見ていて、清崎なんかは、あいつらに何も言わないのに、なんでおればかりが叱られるのかと、ぶーたれていた。

 とはいえ清崎の場合は、叱るほうも叱られるほうも、双方にとっての挨拶のようなものだ。それにそもそも、叱られる内容が違う。優等生たちは、ひらりに多少は嫌な思いをさせたかもしれないが、誰かに害を与えたわけじゃない。だけど、清崎は、はっきり害を与えている。このあいだだって、受験組の伊達を殴り、清崎の親と伊達の親も巻き込んで、ちょっとした騒ぎになった。

 お母さんネットワークがあると、ふたりのあいだに何があったかが、ある程度、わかるのかもしれないが、タイボクの家は父親が忙しいから、学校で何が起きていても、そのうわさすら入ってこない。タイボクとタイボクの父は、時々、陸の孤島にいるかのようだ。

 とにかく、清崎の言い分は、「馬鹿にしやがって」の一言に尽きる。そうして伊達の言い分は、「本当のことを言ったまでだよ」ということだ。本当のこととは何なのか。清崎は嫌なやつだが、伊達の言い方も、ちょっとひっかかる。

 別の日の昼休みに、タイボクは別のクラスの子が、「伊達が壊れ始めた」と言うのを耳にした。物じゃない。なのに「壊れる」という言い方を人に対しても使うことが、いつからか、この学校でも普通のことになった。

 伊達は一人っ子で、入学したときから今に至るまで、いつだってよくできる優等生に違いなかったが、それ以上に、性格が穏やかで、おとなしく扱いやすい子として認知されていたように思う。低学年のころは、男の子と荒っぽい遊びをするより、女の子と静かなままごとをするほうが、似合っているような子供だった。

 タイボクの作った紙飛行機が、学校の柵を越えて飛んでいってしまったときは、先生にかけあってくれて、いっしょに学校の外へ、探しにいったものだった。ガードレールの下に落ちていた紙飛行機を、あったよ!と笑いながらタイボクに渡してくれた伊達。

 気になる変化と言えば、彼の顔だ。妙に真顔でいることが多く、笑い顔が少なくなった。同じクラスにいても、気がつかないことは多い。その伊達について、思いがけないことを教えてくれたのは、受験組の花だった。
            
→26へ続く