27
 放課後、タイボクはいつものように、友達と別れ家へ戻った。

 受験するやつらは、いったん家へ戻ったとしても、すぐに塾へと直行する。そうでないやつらも、最近はどうもばらばらで、昔のように、誰かの家に集まったり、公園に集合したり、ということがなくなった。

 前は自転車で町を流していた清崎も、いったい、どこで何をしているのか。みな、それぞれの部屋にこもって、携帯やスマホをのぞきこんでいるのかもしれない。

 タイボクは、自ら鍵を開けることにもすっかり慣れて、いまではサミシイともなんとも思わない。

 がらんとした六畳間に立って、ほんと、誰もいねえな……と、いまさらのように確認する。午後の光が窓から差し込み、畳を静かにあたためている。ぼんやり見ていると、自分自身すらも、ここにいないような気がする。

 テーブルの上には、袋菓子のおせんべいといかにも書き急いだ感じの、父の置き手紙がある。

〈今夜は遅くなりそうです。冷蔵庫のなかの弁当をあたため、早く寝なさい。テレビを見過ぎるな。スマホもほどほどに〉

 先月、父は、タイボクの誕生日プレゼントに、かねてからタイボクがねだっていたスマホを買ってくれたのだった。

 手紙の文字は吹き出しになっていて、男のイラストが描かれている。それが父、つまり自画像というわけだろう。

 父の絵を見たのは、初めてのような気がする。タイボクの、別れた母には絵心のようなものがあって、留守にするときには、タイボクあてに、必ず絵入りの手紙を残してくれたものだった。

 まるでそれに対抗するかのように、父が初めて描いた絵は、タイボクだってもう少し上手く描けると思えるほど稚拙なものだったが、笑いを誘う温かみがあった。

 味も素っ気もない文章のほうは、いつもの父を少しもはみ出すものではないし、やさしさにあふれた母のコメントが、ほんのちょっと懐かしくもなった。

 けれど父は、出社前の忙しさのなかで、おそらくこれをあせって描いたのだ。

 ふと、意識が背中に移る。自分がまだランドセルを背負ったままだということに、ようやく気づいたタイボクは、それを畳のうえにどさりと置くと、手も洗わず、せんべいをかじり、リモコンでプチッとテレビに電源を入れる。

「テレビを観過ぎるな。スマホもほどほどに」

 父の小言は霧と消えた。

 居間にたちまち、声があふれる。そのまま延々と観てしまう。

 一人、夕食を終え、ぼんやりする。観たい放題、観たはずでも、電源を切るのは容易なことではない。切ったあとのむなしさにたえられないのかもしれない。いきなり画面が真っ黒になる。さっきまで響き渡っていた笑い声。笑っていた人たち。みんなみんな、一瞬にして消えてしまう。なんという怖ろしさ。自分がここに、一人でいることに、否応もなく、気付かされる。真っ黒になったテレビは、放射熱を発して、なおもあたたかい。あたたかいが、もう生きてはいない。死んだテレビ。死んだ人たち。自分まで、真っ黒な画面のなかに吸い込まれてしまいそうだ。

 

 その夜、父が帰ってきたのは、十二時近かった。いつものように、帰ってきた気配はわかる。水の音がして、ふすまの隙間から光がもれる。タイボクはまだ眠っていなかったが、蒲団のなかで、横たわったまま、じっとしている。

 すっとふすまが開く。

 眠っているタイボクを、見つめているらしい父の気配がする。

 やがて再びふすまがしまる。

 小さく、ごく小さく、テレビの音がする。深夜のニュースをやっている。

 今だ、とタイボクは思う。

 まるで今、目が覚めたみたいに、立ち上がり、ふすまを開けた。

「おう、起こしちゃったか。ごめんな」

 父の目の下にくまが出来ている。

「おとうさん」
「なんだ」
「あのね。山田塾っていうのがあるんだ」
「ふーん」
「京平が行ってるんだよ」
「京平くんは受験するんだよな」
「うん、私立の最難関だよ」
「ほお、そりゃ、すごい」
「おれも行きたいんだ」
「え? 私立にか?」
「違うよ、山田塾。今週、体験入学があるんだ」
「受験する気になったのか?  間に合うならかまわないぞ」
「いや、おれは地元へ行くよ」
「なら、なんで?」
「面白い先生がやってるんだって」
「へえ」
「じっちゃん先生なんだって」
「え? なんだって?」
「おじいさんの先生。おじいさん先生が作文書かせるんだって。京平も京平のお母さんも、おれが行くといいって」
「行きたいなら行っていいよ」
「え、ほんと?」
「ああ、いいさ。いくらかかるか、しっかり聞いてこい」
「ほんとにいいの? お金あるの?」
「金はある。あるところにはある。いつもは、備えて貯めてるだけだ。おまえは金のことなど、心配しなくていい。まずは行ってみろ。また、話聞かせろ、早く寝ろよ、風邪ひくぞ」

 あっけないくらいに、話がまとまった。カネガナイ、が父の決まり文句だったのに。

 その金を見たわけではないタイボクは、幻を見るような思いだったが、じっちゃん先生への興味のほうが大きく膨らんだ。

〈オヤジが塾、行ってもいいって。明日、体験に行ける。ヨロシク〉

 時間も考えずに、京平の「ライン」に入れた。指先が、オヤジという言葉を何気に打った。その言葉を使ったのは、初めてだった。
            
→28へ続く