第110回記念 太平洋展

2014年5月14日〜5月26日 国立新美術館

 太平洋美術会の起源は1889年に小山正太郎、浅井 忠らが組織した明治美術会、その後身として1902年に二者の門下、満谷国四郎、吉田 博、丸山晩霞らが組織した太平洋画会である。1957年に現在の名称となり今日に至る。敬意を表して晩霞、博の水彩画各10作が会場入り口を飾った。
 この出発点は今も連綿と受けつがれ、親しみのある山々の威容や山川草木がかもし出す旅情、異国情緒、人間の織りなすさまざまな風情がモティーフの多くを占める。それらが多用化するなか、百年変わらぬ巷間に見出された詩情や、身近な人々のありさまがもたらすヒューマンな光景などが十人十色にとらえられていた。
 佐藤美智子『国境線—カリブの島々』が人種問題を射ていた。国境は肌の色だけでなく、われわれの頭の中にも歴然とあることを、あの一大「スポーツの祭典」を通して、この画家の感性は描かずにおけなかった。カリプソムードをたっぷり楽しんできました、めでたしめでたしでは済まない、メッセージがあった。
 根岸一雄『西の風』もこの現代、同時代をとらえていた。闇の中に女たちの群れがある。そこにあたかも運命を分かつような赤い光と灰色の光が画面を二分して射しかかり、画面の右三分の一がハレーション状態である。右上部は天空に続く。この光の方向へ、灰色の光を受ける者たちだけが、たじろぎながもら、今まさに一人、二人と、踏み出そうとしている。外も地獄かも知れないが。戦争とはこうしたものか!?
白水チカ子『愛・未来へ』もずらり華やかな着衣、官能の裸体入り乱れての、一様に翳りのある娼窟のような女性群像である。しゃぼん玉がはかないもののイメージで飛んでいるのは、この女たちの定めを暗示しているようで悲しい。
 大島ケイ『想いの丈(Ⅰ)』に若さと奔放な生命感が嫌味なくみなぎっていた。色彩のモンタージュ画面が躍動し、ちょっぴりのお尻のエロスも心地よい。

大島ケイ『想いの丈(Ⅰ)』
 真野真知子『立つ』も女性二人の像。画面いっぱいの力量感ある女性らしい肉体が、安定感をもって石膏彫刻のようなポーズで地を踏みしめて立つ。
 佐藤百合子『ファンファンファン』は空中芸をする日本人女性クラウン。宙に浮きながら目を閉じ、右手を上に指しのべ、お腹に左手を当てるうっとりのポーズ。この静止が実は至難の技なのだ。色彩混沌の宙空に舞う、肉体によるファンタジー。サーカスは子どもにも大人にも、夢である。
 岡本 優『ヤークマクトル』もサーカステントや曲馬馬、観覧車、カルーセルなどがちりばめられた、コンパクトに夢がつまった一枚の絵本のような世界。ちょっと不気味さ、怖さも伴う空間で、虹色の照明に染まっていた。
 板橋陽子『夏の元興寺にて』他一作は古色付いた色彩に包まれた、かの寺院前に立った市の情景二つである。浴衣姿の童女あり、主婦たちあり、女性ばかりであるが、これが今なのかかつての忘れられぬ思い出の光景なのか定かではないが、時間の隔たりにかかわらず、懐かしく伝わるものがあった。水彩である。
 桜井 実『バレーリーナ』は幕間にしゃがんで出番を待つダンサーの緊張とくつろぎの半ばにある心理が伝わるようなひとこまがとらえられていた。
 彫刻の佐々木 實『チャーミー&ハット』は、2メートル50センチはあろうか、胸板の平板なひょろり背の高い百済観音風な天平女性二人の立てる像である。後ろへ回ってみれば、チャーミングな、瀟洒な、小さなお尻であった。淡い着彩を程よく施した寄木造。右足かかとを上げ、左足爪先を踏み出す動きもあるこの高さの像を、よく立たせている。毎年、こうしたのっぽな巨像に取り組み、驚かせてくれる。  
2014/05/14取材

(文責/常盤 茂・芸術新聞社)


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